“禅”の語源ともなっているある種の状態・境地を指します。
8人のチベット仏教修行者を対象とした実験について(一点集中の瞑想を行ったもの)
彼らの言葉によると、瞑想によってしだいに意識は静まり、より深く単純な要素、「内なる自己」があらわれてくる。「内なる自己」は、真実で変わることのない唯一の要素であり、孤立しているのではなく、万物と分かちがたくむすびついているという鮮烈な直感をもなう。「時間を超越し、無限が開かれる」「自分がすべてのものの一部になったような感じ」。その素晴らしさは言葉を越えている。
ヨーガスートラによる禅定〜三昧の解説は
「3.3 三昧(サマーディ)とは、この瞑想(ディアーナ)そのものが形を失ったかのようになり、その対象がひとり輝くときのことである。」
このように、全体性の獲得や至福感、自他の境界を失う境地を表しています。