論理ではないけど情緒でもない
初めてグループ分けのアレンジ・作曲法に触れたのは坂本教授の本(『坂本龍一・音楽史』)か、古本のキーボードマガジンに連載があってそれを読んだか。
いずれにせよ、高校生の頃。
数学の群論の考え方を最初に取り入れたのはハンガリーの天才、バルトークらしく
カルテットの4番だっけか(?)はそれで作ってるんです。
その発想は、例として極端にすると・・
モードA(ド・ミ・ソ) モードB(レ・ファ・ラ)
と決めたとします。で、1stバイオリンはAだけしか使わない 2ndバイオリンにはBだけとか。先にルールを決めて作曲するって方法。
これは、「熱いペーソスが俺に音楽を作らせるのさ!」っていう事とは距離がある。
けど、任意のルールだから特別ロジカルでもない。スポーツのルールと一緒で。
これが、当時凄く印象に残りました。
自分でルールを決めてしまう
これをまんま使うってことはないけど、
セッションをやっていた頃。その時は鍵盤で、 Roland Juno-Dだったかな🎹・・
「今回はこの音色(ウーリツッァー)でこの音域に専念すっか」とか漠然と決めてやったり。「ブルースあり、ペンタトニックは少なめ、ただし4度重ねはありだな」とか。
そうすると、ライブスペースのバーのおじさんに褒められたりしてね。「モータウンのグルーヴを追求してるのがわかるよ」とか😂 全然違う事考えて弾いてましたが、おじさんも音楽やってる人みたいでした。
そんな感じで、先に制約を作る発想は今でも残っています。
これは情報量多くて💦 よく読んだなー⇩