※今回もネタバレ全開でお送りします
昨晩見直しました!
これはもう、3〜4回は見ているのですが、いまだに
ホラー映画ですらないように見える作品。
〈理由〉
・リアリティラインがどこにあるのかわからない(ご都合主義・ぼんやりした舞台設定)
・死の世界(異界)と生の世界 どっちに重みがあるのかが曖昧
・上のふたつを踏まえて 登場人物の死の動機がぼんやりしている
この作品は、インターネットから始まる〝死の感染〟がテーマです。
大体三幕構成で、
①謎と怖がらせ
②謎解き
③逃避行 のような感じです。
①で相次いで起きる、自殺・失踪の連続
問題は②謎解きのパート。
この作品では赤い色が象徴的に使われていて、死の世界への通路は赤いマスキングテープでできるという設定になっているのですが、
物語中盤に出てくる理工学部の大学院生、武田真治の解説(仮説)を聞いても「はぁ?なんだその理屈!? SF?」となってしっくりこない。
主人公の加藤晴彦は普通に生きることを重視する。なんなら永遠に生きたいとも発言する。
対して、小雪扮する理工学部のハルエはのセリフ「ほんとは退屈に生きていることも、死んでいることも同じなんじゃないの?」(意訳)とも発言し、死の側に引き寄せられていく。
ここで一見死の世界に魅力なり、力があってみんな必然的に死に感染するのだと思わされる。(ここ重要)
だがしかし、③で出てくる死の世界の住人は「死は永遠の孤独だった・・助けて」という。「え!なに一見魅力的に見えた死の世界が、辛いわけ?」となり
小雪発言と矛盾して、見ている側はどっちに重きを置いていいかわからなくなってくる。
生の世界が怖いのか、結局死の世界が怖いのかぼんやりしてしまう。
じゃあなんで自ら死の側に引き寄せられるんだよ?
加藤晴彦もとてもショボい理由で赤いテープの部屋に入ってしまって、〝感染〟してしまう。
②のパートでも電車に乗るくだり、全く人がいないのに、車掌はいるとことになっているし、電車はいきなり止まるし。
生の世界側がもう異世界みたいになっている。(リアリティライン問題)
もうこの映画にとってそういう細かいリアリティはどうでもいいのかもしれないのですが、にしてもぼんやりしすぎて感情移入できず怖くない。
肝心のところがショボく、ぼんやりと感じるので、映画の力が弱くなってしまっている。
③のパートに至っては加藤晴彦と麻生久美子との、なにか『気狂いピエロ』(1965)のような逃避行。謎解きや全体がぼんやりしているので、逃げている動機やその重みもちょっとどうなのか、となってしまうのです。
役者陣の演技や配役も好きだし、色を象徴的に使ってくるところも黒沢監督らしい(赤いテープ・自殺する女の赤い服・感染したあとの有坂来瞳の着ている服の変わり具合)
お得意の引きの構図と、カット内の長回しで見せる演出。伏線をちょろっと見せる演出方法も
黒沢作品ファンとしては好きに決まっているのですが
何度見ても「なんじゃこりゃあ!?」となる映画でした。