本年もどうぞよろしくお願い致します🎍
さて!先日、ブックオフで掘り出し物の譜面がないかチェックしていたのですが、
大型本コーナーにあるので、偶然その近くで『好きなことだけして生きる』(PHP)というコンビニで売っているようなムックを見つけました。
すっぱい葡萄
立ち読みしていたら、意外と面白いなと思って譜面と一緒に買って帰りました。
対象年齢はかなり上の設定になっているようでした。退職を控えた世代くらい。
一番、引っかかったのが精神科医、名越康文さんの文章でした。
人と自分を比較しないために、嫉妬や羨望を抱き、理想化している人物の、現実的な苦労に目を向けよというお話。
イソップ童話に出てくる逸話。きつねが、自分が取れなかった葡萄に対して
「あの葡萄はどうせすっぱい」という話がありますが、
それを意識的にやってみるというもの。
これ、心理学の「認知的不協和」の例えでよく出てくるものです。
極端に言うと、私の取れなかったものは、どうせ最低だ(酸っぱい葡萄のたとえ)。
私の手にしたものは最高だ。(甘いレモンのたとえ)という。
どちらかというと自分勝手な悪いたとえで出てくる話です。
ニーチェ解説本
そこで、思い出したのがニーチェの話でした。
超訳!シリーズみたいのが流行るずっと前。僕が高1とかなので、まだ90年代後半。
そこで、哲学者の永井均さんが解説してたんじゃないかな・・・記憶が定かじゃないですが。その名も「ルサンチマンの哲学」ですよ。入門・概説本ながら濃い内容。
この人のパンクな解説が当時血気盛んだった僕は、好きでした。
この「酸っぱい葡萄」の話が、ニーチェの著書『アンチクライスト』などの一連のキリスト教的道徳批判の解説、のしかも悪いたとえとして出てきていたので。
つまりは、事実を歪曲して都合よく解釈するのが本当の道徳なのか?というようなお話で。
僕は、キリスト教の幼稚園に入っていてそれに馴染めなかったのもあって
「こんな自己欺瞞のきつねのようにはならん!」と燃えたはず。
それもあって、余計ルサンチマン(劣等感・怨念)を強めたという・・。
今考えるとアホですけど・・。
信仰の問題
この名越さんの文章を読むと、案外、認知的不協和も役に立つんだな。人と比較せず幸せならこれもありだなと思ってしまいました。10代のパンクな僕は怒ると思いますが(笑)
しかし、これって本当に信仰の問題の核心をついたテーマですよね。
誰しも「私の人生は良い」と思いたい。でもまあ色々な苦難や、欲しくても得られないことは多々ある。
そこを自分の方に引きつけて合理化してくれるのが宗教や信仰なんだなと思わされました。だからカルト内で究極の認知的不協和が起きるのは、その暗黒面ですね。
「私の信じた教えなんだ。だから絶対に間違っているはずがない!」というような話。
そこはあまりにも難しいですが、今回はどこかホッとさせられたという新春小話でした。
〜お粗末!〜
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