原作は吉本ばなな - キッチン
この本は、高校の教科書に一部抜粋で乗ってたような気がします。(記憶定かじゃない)
文学・人文の分野は教科書への反映が早くていいですよね。
現国の教科書に、中沢新一の文章まで乗ってたんだから早い。
かつて東京都現代美術館で、映画3本立てを見に言った時。の5つくらい上の人と知り合いになったのですが。
その人は「中沢新一が載ってるの?いま?。僕のときは吉本隆明が止まりだったよ。」と言ってました。
音楽でいきなりスティーヴ・ライヒとか載ってたら変・・ていうか載せてくれないもん。せいぜい音楽史のはしっこの方にちょろっと載せてもらえてたくらい。
でも20年くらい前だから、いまは多少変わってるかも。とはいえ音楽は反映が遅いんですよ。ずっとバロックから古典・ロマン前後期・印象派くらいで終わり。
バロック以前をやる場合もありますけど、とにかく当時は、面白くはなかったです。
話が脱線したので
戻すと、この映画、すごい異物感というか、異世界かんというかなんちゅうか・・。
砂糖でコーティングされた世界にも見える。けれども森田監督なのでそれだけで終わらない。
〝トレンディ〟な舞台立てはばっちり、初期村上春樹の主人公並みに、
「お前、なにやったらそんな・・うなるほど金あるような生活できるんだ!」って部屋とか。
にも関わらず慢性的空虚感が漂います。
それは、この監督の小津安二郎を模したような、セリフ・カット割り・カメラのポジション。特に前半、主人公(川原亜矢子!)が引っ越すまでは顕著です。
しかもこれ小津が所属してた松竹映画だしね。
昔ながらの日本家屋に近いから。その構図が作りやすい。途中優しい大家さんが出てくるシーンは、いつの時代だ?って思うほど小津っぽいセリフ回し。
そして、セリフとカット割り。「そんなん言わねえよ!w」っていうセリフと
ひとりひとセリフワンカットってことで、例の小津の真似するときに必ずやる。
「そうだよ。」(カット)「そうかい?」(カット)「そうそう、そうに決まってる。」
みたい手法を使ってます。で、主役のふたりが若いし、まだ芝居に慣れてないので
演出も、ここはこうやってと、監督が直接つけてるんじゃないのかな?
そうすると、変にノッペリした間と、時間感覚に陥ります。
(ライムスター宇多丸さんが、森田監督を評する時のオフビート感てやつ)
対して、主人公と同棲をはじめる男(松田ケイジ)の母役は橋爪功。
役柄上、違和感を放ってなきゃいけないのはむしろこっちなのに。。
橋爪さんは芝居が巧いから、流暢に喋るので、ちゃんと背景に馴染んでいく気がします。僕は小さなモニターで見ていたのもあって。途中まで橋爪さんと気づきませんでした。。トータルで見ても、周りを固める役者さんのほうが巧いんです。
が、それだからこそ主役のふたりが浮いて、目立つんだ。
音楽の面
音楽は変に奇をてらった感じではないです。メインテーマ(わりとおフランス風の曲)があって、何か起こりそうなときは不穏な音楽(シェーンベルク風とか)。映像で示したい意図にシンクロしています。機能的な使い方。
が、2つ以上のシーンが交錯するときにいきなり音楽がブツッと切れる。
一方で陽気にやってる。一方で無音。のようにコントラストを激しくつけてます。
だから、一見変に見えるシーンも音楽である程度意味づけしているような。
音楽ぶつ切り界の帝王たる監督といえば→ゴダール(大いなるマンション セザァール の言い方で 古いな・・)
これで、全然語りきれてないけど。いやとにかくトリップしますよ。
あと後半の食事とダンスシーンは必見です。いろんな意味で!w