集中→受容という視点

 

仏教サイコロジー』を大体読みました。(←いい加減)

 

プチ速読の話

 

本は楽譜の初見の訓練の応用で読むのは早いんです。が、あの本格的なフォトリーディングみたいな読み方はできないので、独自の読み方です。

 

目次を見て、「大体こういうことが書いてあるな」と検討をつけます。(わざと先入観から入る)で、パラパラみながら、意外な単語とかキーワードが目に映ったら止まるんです。

 

そこから、ペースを落として読む。で、理解したらすぐ次に移る。

 

本題へ^^;

 

話を戻すと、多くのトピックスについての対談集。

 

タイで出家した日本人であるプラユキ・ナラデボーさんの話が新鮮でした。(禅の藤田一照さんの話は何度か訳・著書などでなじみがあるため)

 

集中→受容

 

タイのスカトー寺で指導している。特殊な手の動きを使った気づきの瞑想の話なども、出てくるのですが。

大枠は呼吸を使っても、手の動きを使っても似ていて、気づきと受容の訓練になっています。

 

一番印象的だったのは、プラユキさんの、集中をほぼ=受容ととらえる姿勢でした。

 

対象A集中しようとすると、必ずBとかCとかDとか・・色々雑念が湧くんですが、そこに気づいて元に戻す。

その〝雑念〟は悪いものではなく、そこもひっくるめて瞑想のプロセスなのだから、全体として受容しているのだということです。(p.176あたり〜)

 

その中に、寛容さ・慈悲も含まれている。(なので、とりたてて慈悲の瞑想というのを強調してやらないんだとか)

 

 

かなり分量のある本ですので、惹かれるポイントが読者によってかなり違うんじゃないかと思います。

 

ぼくにとっては受容ということが、大きな視点やサイクルをもって捉えられていることが、本全体を通しても目から鱗のポイントでした🤘

 

 

仏教サイコロジー (魂を癒すセラピューティックなアプローチ)

仏教サイコロジー (魂を癒すセラピューティックなアプローチ)